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舞鶴学園とは

舞鶴(平)港、引き揚げの様子

第二次世界大戦が終戦した昭和20年以降、舞鶴市は旧ソ連や中国大陸からの引き揚げ船の到着港となり、13年間に亘り帰国する人々を受け入れて続けました。 昭和25年からは、全国に10箇所あった引き揚げ港は舞鶴港を残すのみとなり、昭和33年の最終船入港まで重要な役割を果たし、”引き揚げ者の町”として全国で有名になりました。

しかし、延べ66万人にも上ると言われた舞鶴港への帰国者たちの中にあったのは、歓喜の声だけではありませんでした。 その中には、生きて再び祖国の土を踏むことができなかった1万6千柱の遺骨と共に、命からがら引き揚げてきたものの、身寄りもなく行き場を失って路頭に迷う、悲惨な子どもたちの姿があったのでした・・・。

このことに心を痛めた元新聞記者の山口勲(故 初代理事長)は、昭和21年、有志数人と共に私財を投げ打って「財団法人 日本青少年自彊学会」を創設し、京都中央保健所から戦災浮浪児11名を引き取って養護活動を開始しました。 これが「舞鶴学園」の始まりです。

当時の子どもたちは、在外同胞援護会経営の愛胞寮にて養護生活を開始しましたが、昭和23年3月には、舞鶴市朝来の地に施設を移転し、元海軍工員宿舎11棟16戸にて約50人が分宿し、「少年の村」と称して、自治生活を始めました。 またこの年、児童福祉法の実施により養護施設となり、昭和27年には社会福祉法人としての認可を受け、「舞鶴学園」と改称しました。

昭和28年には、舞鶴市字浜にあった元海軍縫製工場跡を全面改修した施設に移転し、定員は70名となりました。 また、昭和44年には国庫補助を、翌45年には日本自転車振興会の補助を受けて、施設を増築し、定員100名の大舎生活がいとなまれるようになりました。

創設者 山口勲

創設者 山口勲

「少年の村」時代の写真

「少年の村」時代の写真

昭和28年、舞鶴学園の全景

昭和28年、舞鶴学園の全景

しかしその後、社会情勢は目まぐるしい変化を繰り返し、子どもたちを取り巻く環境も大きく変化していきました。 高度経済成長期の裏で借金の末離婚した家族、乳児の遺棄、虐待、校内暴力などの問題が子どもたちに大きくのしかかって来ました。 少子化で、児童養護施設のニーズは、減るどころかますます高まっていき、しかも、一人ひとりが抱える問題は複雑化し、子どもたちが受けた心の傷も深いものとなっていきました。

昭和45年、新園舎の全景

創設者の山口勲は、常々こう語っていました。

「歪んだ状態に置かれている子どもたちが、その状態を突破できるエネルギーを備えていると信じること。 そのエネルギーを引き出し、発揮できるように支援することが我々の使命である。」

問題を抱えた子どもたちが自分を取り戻していく場として、学園は、”一人ひとりが大切にされ受け止められている”、”大人は信頼するに足る存在である”と実感することができる場として機能する必要がありました。 そして、かつては当然だと受け止められてきた大舎制では、施設独特の画一的なシステムに陥りがちであるという現実から、時代の流れと共に小舎制への道を探っていくこととなったのです。

平成8年、まずは実験的に地域での家庭生活体験の場として、民家を借りて養護施設分園型自活訓練事業を始めました。 児童4名と職員2名がそこで暮らし、職員と共に食事作りや食材の買出しなどを体験したのです。

幼い頃から施設で生活している高校生の女の子は、このとき初めて野菜を買ってきて洗ったり調理したりする体験をして、その驚きを「こういう光景が普通の家庭なんだ。」と日誌に記しています。

大舎制では、保護者が食事を作るところを見たり手伝ったりするという、普通の家庭にありふれた状況に触れることがないことを改めて思い知らされたのでした。

小舎制を導入した、市内泉源寺の新園舎

そしてついに平成13年、創立55周年目の年に、慣れ親しんだ市内字浜の旧舎を後にして市内泉源寺の地に移転し、これを機に小舎制を導入しました。 施設内には7つの家があり、幼児から高校生までの子どもたちが職員と共に暮らしています(⇒施設の紹介)。 それと並んで、管理棟と保育所タンポポハウスが建てられ、舞鶴学園は活気に溢れた園舎へと新しく生まれ変わりました。

現在の地に移転してまず気付いた事は、従来の閉鎖的な施設のイメージを払拭し、近隣住民の方々に活動を理解してもらうことの大切さでした。 そのためにも、積極的に地域との交流を深め情報を発信していくことが重要だと改めて痛感したのもこの時でした。 今では、その取組みが理解され、地域の方々とも良好な関係を保っています。 その一環として、平成17年には児童福祉法に基づき、児童家庭支援センター「中丹こども家庭センター」が施設内に附置され、子育てに関する不安や心配、また子ども自身の悩みなどについてのお問い合わせに、専門の職員が対応できるようになりました。

また、舞鶴学園には「子ども会」なるものがあり、自分たちの意見をまとめて生活に反映していこうという趣旨のもと、各家対抗の手作り料理コンテストやレクリエーション大会などの様々なイベントが企画・運営されています(⇒年間行事)。 遊具の導入などについて話し合うのも子ども会の役割で、駐車場に設置されたバスケットリングも、みんなの声を集めて、資金の相談から注文・組み立てまで、全部子どもたちの手で実現しました。

小舎制を導入したことで起こってくる問題や課題も確かに沢山ありますが、日々、学びと試練の連続の中、子どもたちとともに成長していく覚悟で職員一同、舞鶴学園の運営に携わっています。

子どもたちで設置したバスケットリング

設置したバスケットリング

豊かな自然に囲まれた園舎

豊かな自然に囲まれた園舎

子ども会合宿

子ども会合宿

園舎の中庭に飾られたキャンドルのイルミネーション

園舎を照らすキャンドルの灯り


このサイトをご覧いただいた皆様に是非知っていただきたいことがあります。 養護施設で暮らす子どもたちには何の罪もなく、また何ら普通の子どもと変わらないということです。 ただ、家庭や両親に恵まれず普通の人よりも早く人生の試練に直面したに過ぎない、という事実です。

皆様から頂きたいのは、好奇の目や同情ではなく、同じ人生を生きる人間として共生していくための理解と支援です。

過酷な境遇に置かれた子どもたちが普通の暮らしを経て、立派な一人の人間として自立してゆけるよう、私たちはこれからも誠心誠意子どもたちをサポートしていくつもりです。

どうぞ、皆様からの更なる厚いご理解とご支援を心よりお願い申し上げます。

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舞鶴学園データ

団体名 社会福祉法人 舞鶴学園
設立認可日 昭和27年5月17日
理事長 桑原 教修
敷地総面積 7,256u
総職員数 50名
事業内容
児童養護施設「舞鶴学園」

・定員70名

・ショートステイ事業、トワイライトステイ事業


認可保育所「タンポポハウス」

・定員80名

・延長保育、一時預かり


児童家庭支援センター「中丹こども家庭センター」

・一般相談、電話相談、カウンセリング、子育て支援短期支援事業など


所在地

〒625-0026

京都府舞鶴市泉源寺立田223番地

電話番号 0773-62-1315
FAX 0773-62-2159
E-mail maigaku@maizurugakuen.org
URL http://maizurugakuen.org
交通案内
JR東舞鶴駅より京都交通バスをご利用の場合

@ 朝来(あせく)環状線:安岡経由朝来中行き⇒2番のりば

A 高浜線:高浜駅前行き⇒3番のりば

  ※ いずれも、バス停:東高口(ひがしこうぐち)下車徒歩2分


マイカーをご利用の場合

・舞鶴自動車道:東舞鶴インターより約8分


タクシーをご利用の場合

・JR東舞鶴駅より約10分(1,000円〜1,200円)


▼ アクセスマップ ▼


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